クレイジー・ハート

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その愛は遠くから、自身へと立ち返る哀しみの斥力を帯びていた。


旅に生きるもののすがたは儚くも日々の痛みを持ちこたえたまま、
真正面から切り結ぶことのできない現実との距離を測りかねている。
絶望の淵を覗き込む勇気さえ持てぬ者たちよ、この旅を見届けよ。


これは救抜の物語でもなければ、再生を祝福する賛歌でもない。
老境にさしかかる歌手バッド・ブレイク(ジェフ・ブリッジス)は、
かつての栄光と無自覚な奇矯のあいだに危うい生を見出している。
便器を抱えて反吐をはき、老いゆく身体を床に横たえ眠る一方で、
ステージでは残り僅かな矜持を駆り立て、じぶん自身を励起する。
それは痛みに支えられたお芝居、人生の笑劇(ファルス)なのだ。


惹かれあう地方紙記者、シングルマザーのジーン(マギー・
ギレンホール)に抑制的な美を捉え、かつての弟子でもあった人気歌手、
トミー・スウィート(コリン・ファレル)の歌唱には息を呑みこむ。


さまざまな楽しみかたが観客の数だけ許される不思議な物語は、
精確なショットにより生の輪郭を掘り起こす試みに成功している。
認め合う子弟がひとつのマイクと12000人の観衆を前に立つとき、
スクリーンには訳詞はおろか、役柄としての二人も映らない。
fallin’& flyin’の調べにのせて、揺るぎない信頼だけを宿すのだ。


痛みを抱く者のあいだに、互いを知るための手続きは要らない。
満ち欠けする愛を導くものは狂おしい引力と斥力の両方であり、
その何れかを欠くとき、ふたりはふたりからふたつの独りになる。
どんなに求めても重なり合う涙のようにひとつにはなれないし、
どんなに愛しても、隔たりゆく心を継ぎ合わすことはできない。


だからこそブレイクは歌う。届けられない想いを楽曲に乗せる。
壊れそうな心を、震える傷みを、すべての希いをこの歌に託して、
決して受け容れられることのない懺悔を観衆のもとへと投じる。


Strain your ears, Listen.  耳をすませよ、そして魂の歌を聴け



                      (2010年 6月)