コクリコ坂から

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海の見える丘で下宿屋を切り盛りする高校生の松崎海(声:長澤まさみ)は、家事と学業に
追われる日々のなかで風間俊(声:岡田准一)と出会う。文化部の部室棟“カルチェラタン”を
巡る騒動を背景に、ほのかな想いは思いがけない運命へとみちびかれてゆく。  


コクリコ坂から』は同名原作を下敷きに、時代設定を60年代に置き換えることで物語に
いくつかの核をあたえた。高度成長期を迎えた社会を背景に、若者たちのあえかな想いを
“恋愛”と“政治”の季節へと取り出してみせれば、朝鮮戦争の名残が“運命”を象る。
だが、取ってつけたような違和感だけは最後まで拭いきれなかった。  


微温的な日常を捉えるならば、精緻に描き込まれた細部が必要だ。『となりのトトロ』で
ざわめく木々やこぼれおちる葉、ささやかな流れや水面の揺らぎまで丁寧にたしかめた
作画もここには見られず、密度のまばらなタッチがレイアウトの粗さで余計に際立ってしまう。


造形こそ悪くはないものの、人物の関係性すら立ち現れておらず、物語に喚起されることも
なければ会話によって補われることもない。主人公のあだ名が“海”を意味する仏語であることも
伝えきれない手わざを作家性とうそぶくのであれば、宮崎吾朗はたしかに型破りと言えよう。
だが、型を持たない模倣は「焼き直し」でしかない。  


脚本を担当した宮崎駿の方向性が見えてこないことも、ジブリという巨大な看板が牽引してきた
アニメの地平にて、その名の浸透と解体が同時進行している現実のむずかしさと無関係ではないだろう。
しかし、後継を巡る試行錯誤が続くかぎり、“物語”を提示しようともがく一方で、すすむ空洞化を
免れることもできないのではないか。  


かつて渡辺保は『青砥稿花紅彩画』を演じた若者の未熟を評して「型が足りない。型を繰り返す
ためには情熱が必要であり、情熱は理想に支えられている。なぜ青年は理想に燃えないのか」と問うた。
いまのジブリに足りないものは“型”に裏打ちされた精度である。  


過去の遺産に相対化されるなか、ジブリはいかに理想を抱くのか。
迷走する老舗の理想を見とどけるためにも、あと少しこの笑劇に付き合わねばなるまい。


我らにもまだ、絶望の深さが足りないのだ。




コクリコ坂から』 (2011年 日本)


監督:宮崎吾朗 脚本:宮崎駿 丹羽圭子


声の出演:長澤まさみ 岡田准一 香川照之



                                         (2011年 7月)