BIUTIFUL

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グローバリゼーションがどうしたとか、不法移民を抱えた社会がどうあるべきか、
なんていう発想はきれいさっぱり忘れてほしい。バルセロナの喧騒にイニャリトゥ
監督が問いかけたものは、そんなちっぽけな切り口なんかではもちろんなくて、
誰しもが個別の生を送りながらもかかわり合い、斥け合う生のゆらぎにほかならない。  


不意に余命を告げられたウスバル(ハビエル・バルデム)は幼い二人の子供と、心を病む
前妻(マリセル・アルバレス)のあいだでとまどう。過去の清算に残された期限は二ヶ月、
だが、かぎりある日々を訪れるものは安息ではなく、あまりにも烈しい現実だった。  


「うまくやりたいとは思ってる、ただ、その方法が判らないんだ」


躁鬱の谷を行き来する前妻を抱きしめながら、ウスバルはささやく。建設現場や模造品工場で
はたらく不法移民と、その仲介料で糊口を凌ぐウスバル、公然と賄賂をもとめる警官たち。
すべてが罪ぶかくありながらも、誰ひとり悪と呼ぶにはふさわしくない存在ばかりだ。  


基督者の言葉を借りるならば、それは血と肉に生きるものの罪であり、霊を見ようとしない
敬虔さの欠如に基づく苦しみなのだろう。奇しくも死者の魂に耳をすませる能力を伴った
ウスバルにおいては、信仰の回復と現実の苛烈さとがその生に最期の苦悩を強いるのだが、
イニャリトゥの投じたものは絶望ではなく、希望への細い途である。  


それは幼な子の宿題を見つめる、父のまなざしに立ち現れている。Beautifulの綴りを
問われて【BIUTIFUL】と応えるウスバルには彼の生きた現実の険しさ、無学であるが
ゆえの過ちを孕ませながら、こどもには異なる未来を選び取らせたい父の願いを
見出せるだろう。だが、この光景に隠されたもうひとつの意味こそが作品の核である。  


綴り字の誤りはまさに、生が不完全であるからこそ美しいことを仄めかしている。
これは、或る未完成の美を捉えた物語だ。



『BIUTIFUL』 (2010年 スペイン=メキシコ 148min.)

監督:アレハンドロ・ゴンザレス・イニャリトゥ

出演:ハビエル・パルデム マリセル・アルバレス ほか



                              (2011年 7月)