イングロリアス・バスターズ

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牧歌的な日常のなかに、ぴんと張られた一枚の寝具。
 
風に吹かれて翻る向こう側の景色には、ハーケンクロイツをはためかせ近付く、ナチスの車輛たち。
ここは占領下のフランスだ。観衆は此岸から、自らの持つ歴史の文脈に物語を重ねる。
 
スクリーンに定着するイメージは、彼岸に映し出されたハイパーリアル(hyper reel)を
提示しているだけに過ぎない。冒頭から、この物語は映画の不可能性を証明しようと試みている。
巧みにも映画である自明さを持ちこたえながら、誰しもに解読可能な公共の暗号として一枚の
シーツを選び、スクリーンに見立てることで現実と非現実における”内破”を引き起こすのだ。
 
タランティーノ監督2年ぶりの新作は、イタリアのB級作品『地獄のバスターズ』のリメイクだ。
物語はナチス占領下のフランスを舞台に、独立愚連隊と化した連合軍の特殊部隊と女スパイ、
一方ではユダヤ人狩りを逃れ、復讐を誓う映画館主の女性とドイツ軍の兵卒を軸に描かれた。
 
国策映画の試写会を標的にナチス軍抹殺をはかるバスターズ。時を同じくして、自らの劇場に
火をかけてまで失われた家族への想いに報いようとする女主人。それぞれの作戦が始まる。
 
シネフィルと呼ばれる者たちは、しかし、この作品の猟奇性と悪ふざけに辟易することだろう。
敵兵を殺し、頭の皮を削ぎ落とす光景は戦闘の残虐性を弄び、食事のシーンでは口元と菓子を
交互に映しながら、極めて不愉快な音を立てたままドイツ兵とユダヤ人との心理戦を絡める。
だが、こうした悪ふざけの数々は極めて精緻な繰り返し構造のなかに用いられており、暴力は
観衆に宿る根源的な感覚と呼応し、互いを映すスクリーンの役割を期待した装置に過ぎない。
 
国策映画の主役を演じた兵卒は、首を傾げながら複製された現実を観る。バスターズを率いる男は
ドイツ兵に鍵十字を刻み、「これが俺の最高傑作だ」とさけぶ。ナチスを呪った女主人は、自らの
最期をフィルムに託し、焼け崩れるスクリーンのなかで、いと高らかに笑ってみせる。
 
映画と現実、彼岸と此岸。ダブル・ミーニングへと託された、絶え間ない往還と反転する交替。
これは、映画を誰よりも愛するが故に映画を告発せざるを得なかった男の、かなしい企みだ。
 
                                    
                                    (2009年11月)